西沢裕司の現在は?両親・家族と全日空ハイジャック事件の犯行動機も!
2018年12月25日(火)に戦後重大事件の新事実2018が放送します。
その中で1999年に起きた全日空61便ハイジャック事件の真相について迫ります。今から19年前に起きた全日空ハイジャック事件ですが、犯人は当時28歳だった西沢裕司容疑者です。なぜ、このような事件を起こしてしまったのか気になりますよね。
そんな本日は全日空61便ハイジャック事件の犯人・西沢裕司容疑者の現在、そして両親や家族、ハイジャック事件の犯行動機について詳しくご紹介したいと思います。
西沢裕司の経歴プロフィールは?
名前:西沢 裕司(にしざわ ゆうじ)
生年月日:1970年
現年齢:48歳
出身地:東京都
西沢裕司容疑者の現在分かっている簡単プロフィールになります。
1970年に東京で生まれ小学校低学年の頃にいじめに遭ってしまいます。
学歴は武蔵中学校を卒業後、武蔵高校に進学。
そして高校卒業後は一橋大学に入学し、大学時代に羽田空港でアルバイトをしていました。
幼い頃からパイロットになるのが夢だったようですね。
大学卒業後は航空会社に入社することが出来ず、日本貨物鉄道に入社して働くことになります。
自分が思い描いていた進路に進むことが出来ず、後悔の念に苛まれ、人間関係もうまくいかずにうつ病にかかってしまいます。
1996年に全てが嫌になり最後の死に場所を選ぶために会社の寮を飛び出しますが、死ぬ勇気が起きず半年間ほど放浪の旅に出ます。
ですが、お金が底をついてしまい自宅に戻ることに。
西沢裕司容疑者の経歴プロフィールを調べていると、自分の思い描いていた未来とはかけ離れてしまい何もかも嫌になってしまったように思えます。
でも、世の中のほとんどの人は自分の思い描いていた未来を手にすることは出来ないんじゃないでしょうか。
自分の夢や希望を叶えられる人は一握りだと思うんですけどね。
航空会社に入り、パイロットになれなかったからといって自暴自棄になり、自分の人生を諦めてしまうのはかなり甘ったれた考えだなと思ってしまいました。
昨今はストレス社会なので、精神疾患を患いながらも頑張って仕事をしている人もいますし、一概に西沢裕司容疑者を攻めることは出来ませんけどね。
西沢裕司容疑者はハイジャック事件を起こすまで精神科を受診していました。
仕事を辞めてもなかなか新しい仕事に就くことが出来ず、自宅に引きこもりゲームばかりやっていました。
好きなゲームはフライトシュミレーションで自分がパイロットになったつもりで飛行機を操縦することが出来るゲームです。
そんなある日、西沢裕司容疑者が自宅でインターネットをしているときにふと羽田空港の警備の甘さに気が付いてしまいました。
もともと羽田空港でアルバイトをしていたし、配置図などを見て警備体制に欠陥があることに気づいたようですね。
警備体制の欠陥について抗議の手紙を航空会社、運輸省、東京空港署に送りつけた西沢容疑者。
と同時に自分を警備員として採用して欲しいと求めたようです。
ですが、警備員として採用されることはなく、さらに警備に対する欠陥についても無視されました。
これに苛立ちを覚えた西沢裕司容疑者は航空会社に抗議の電話をします。
日々、航空会社に対する怒りがつのりとうとうハイジャック事件を起こすことを計画。
本当は1999年7月22日に犯行を実行する予定でしたが、天候が悪いために翌日に犯行を決行することになります。
こうして1999年7月23日に全日空61便ハイジャック事件が決行されてしまいました。
西沢裕司の現在が気になる!
全日空61便ハイジャック事件の実行犯・西沢裕司容疑者の現在が気になったので調べてみました。
西沢裕司容疑者は2005年に第一審で無期懲役が確定しています。
無期懲役が確定してから13年が経過していますが、今現在も刑務所で刑を執行しているようです。
正直、西沢裕司容疑者の現在に関する情報はあまりありません。
情報を漁っていると現在、千葉市にある千葉刑務所に服役中とのことです。
無期懲役の実刑判決を言い渡された西沢裕司容疑者なので今後、刑期は30年~40年はあるでしょう。
その長い刑期の中で自分がおかしてしまった犯罪について反省し、亡くなった遺族の方達への謝罪の気持ちを改めて考え、行動しなくてはいけませんね。
余談になりますが、西沢裕司容疑者は刑務所の中で拘禁者支援団体と文通をしていたそうです。
拘禁者支援団体は刑務所に入り、刑を執行している受刑者の人権を守るNPO団体のことです。
ですが、千葉刑務所の所長が拘禁者支援団体と文通をすることを禁止しました。
このことについて西沢裕司容疑者は不当に思い、裁判所に提訴し訴訟を起こしたのです。
千葉刑務所の所長がなぜ西沢裕司容疑者の文通を禁止にしたのかは定かではありませんが、外部と連絡を取り合い、いろいろな情報が入ってくると更正する妨げになると判断したようです。
西沢裕司容疑者の精神的な面を考慮した上での判断だったように思えます。
裁判所に提訴し訴訟を起こした西沢裕司容疑者。
驚くことに西沢裕司容疑者が勝訴してしまったんです。
文通をしたことで更正することが出来ないというのは理に適わない、人権問題に値するということで勝訴したわけです。
いくら無期懲役の判決を受けたからといって外部の人間と文通するのを禁止されたらそれは人権問題に値しますよね。
西沢裕司の家族や両親(母親)は?
最後に西沢裕司容疑者の家族や両親(母親)は現在、どうしているのでしょうか。
西沢裕司容疑者の家族構成は父親・母親・兄・祖母の5人家族でした。
父親の仕事は特許事務所に勤務し、働いていました。
母親は専業主婦、兄は東京工業大学出身で大手化学メーカーで仕事をしていました。
家族の仕事を調べてみるとみんなエリートなんだなと思いましたね。
これは完全に筆者の意見になりますが、最初から勉強も出来てエリート街道まっしぐらな人は挫折を知りませんよね。
でもそういう人が一度挫折を味わってしまうと今までに感じたことがないほどの絶望感に陥るんじゃないかなと思います。
高学歴の人が犯罪者になってしまう理由はここにあるのかなと思いましたね。
家族構成について調べてみるとおそらくですが、西沢裕司容疑者は幼い頃から両親の愛情が足りなくて、犯行に及んだということはないと思います。
むしろ周囲の心配もあったようですし、母親は西沢裕司容疑者の行動をつねに監視していたようです。
うつ病になり引きこもりになってからも変な行動を起こさないように心配していたようなので、それは間違いなく母親の愛情だと思います。
家族のすすめでいろいろな精神科を受診したという記述もあったので、周りはみんな西沢裕司容疑者の心配をしていたんですよね。
どこで歯車が狂ってしまったのか、家族の心中を考えると胸が痛みます。
全日空61便ハイジャック事件の犯行動機は?
最後に全日空61便ハイジャック事件の犯行動機について調べてみました。
西沢裕司容疑者が航空会社について苛立ちを日々募らせていたのはよく分かります。
それが犯行に及んだ直接的な原因なのかは分かりません。
ですが、西沢裕司容疑者が逮捕された当時、犯行動機について調べると「レインボーブリッジをくぐりたかった」「ジャンボ機を自分で運転してみたかった」という理由だったそうです。
全日空61便ハイジャック事件で操縦士の方ひとりが亡くなってしまいましたが、西沢裕司容疑者になぜ刺したのか犯行動機を尋ねると「操縦士が自分の言うことを聞かないので頭にきて刺した。」や「操縦士に疲れていないかと問い掛けたら疲れていると答えたので楽にしてあげようと刺した」とかなり支離滅裂なことを言ったようです。
うつ病による心神耗弱、または抗鬱剤によって正常な判断が出来なくなっていたようです。
ですが、刑事責任能力はあると判断されたので無期懲役の実刑判決がくだされたのでしょう。
1990年後半だとまだ世間的にうつ病や精神病に関する認識はとても低かったと思いますし、投薬に関しても今ほど慎重ではなかった気がします。
実際に西沢裕司容疑者が処方された薬の数はかなりのものでした。
大量の抗鬱剤を服薬すれば、心神耗弱になりますし、正常な判断は絶対に出来ませんよね。
精神病患者に大量の薬を処方する精神科は今ではだいぶ少なくなって来ていますが、それでもまだ多剤大量処方する精神科は後を絶ちません。
西沢裕司容疑者は無視察で多剤大量処方されていた可能性も高いですよね。
薬の種類によっては副作用で第三者に攻撃的な態度をとってしまうものもあります。
ハイジャック事件を起こしたときの西沢裕司容疑者がどんな気持ちだったのかは分かりませんが、一度起こしてしまった事件はもう消すことは出来ません。
まとめ
2018年12月25日に放送する戦後重大事件の新事実2018▼全日空ハイジャック&新幹線無差別殺傷事件!
全日空61便ハイジャック事件の実行犯・西沢裕司容疑者の現在、そして家族や両親(母親)について詳しくご紹介しました。
現在は無期懲役の実刑判決を受けているので、刑務所の中で刑を執行し、反省する毎日を過ごしていることでしょう。
このような凶悪犯罪が二度と起こらないように願いたいですね。
ディスカッション
コメント一覧
多くの普通の人生送ってる人達は、夢があったと言っても、彼ほど血のにじむような努力をしたわけでもないだろう。
だからダメでも簡単に割り切って、すぐ他へ鞍替えできただけじゃないかと思うけどね。
適当に生きてる人間は、考える事も言う事も適当で、幸せで良いね。