吉野晃章(放送作家)の経歴や出身高校は?病名なども調査!
画像引用元:お笑いナタリー
本日、取り上げさせてもらう人物は放送作家をしていた吉野晃章(よしの てるゆき)さんです。
この方は生前、ヒロミさんと親友関係にあったとヒロミさん自身がテレビで語っていました。吉野晃章さんは現在、亡くなっていますがヒロミさんとの友情は今も強いものだと思います。そんな吉野晃章さんの経歴や出身高校、病名などについてご紹介したいと思います。
吉野晃章の経歴や出身高校は?
名前:吉野 晃章(よしの てるゆき)
生年月日:1962年3月2日
出身地:東京都港区
血液型:O型
吉野晃章さんの経歴プロフィールは上記のようになっています。
ヒロミさんは1965年生まれなので3つ年上になるということですね。どのような経緯でヒロミさんと吉野晃章さんが親友になったのかというと、もともととんねるずの木梨憲武さんと仲が良かったとのことです。
出身高校が帝京高校で、在学中はサッカー部に所属。
そこで木梨憲武さんと出会うこととなります。その流れで木梨憲武さんに放送作家の仕事を紹介してもらい、とんねるずの番組に深い関わりを持つようになります。木梨憲武さんとヒロミさんもとっても仲良しなのでその繋がりで吉野晃章さんとも仲良くなったのかもしれませんね。
吉野晃章さんは放送作家としてだけではなく自ら「とんねるずのオールナイトニッポン」放送に参加し、リスナーの方達からもお馴染みの人という感じでした。吉野晃章さんが放送作家として手がけた番組は、「夕やけニャンニャン
」、「うたばん」、「とんねるずのみなさんのおかげです」、「陣内&ヒロミの M’s な夜」、「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」などなどです。
夕やけニャンニャンは僕が物心付く前にやっていたのであまり思い出はありませんが、うたばんや生ダラ、とんねるずのみなさんのおかげですは毎週欠かさず観ていましたね。僕の青春の1ページと言っても過言ではないです。生ダラは毎週録画して観るくらい好きでした!懐かしいなぁ。
そしてその当時、ヒロミさんはB21スペシャルというトリオのお笑いグループを組んで活動していました。
その頃のB21スペシャルのお笑いライブなどの構成を吉野晃章さんが手がけていたと言われています。若い頃に一緒に仕事したり目標に向かった友達との時間て本当にかけがえのないものなんですよね。歳を重ねるごとに友達や親友と呼べる人がなかなか出来なくなってきます。
本当に仲が良い友達を作ることが出来るのって小さい頃から20代までなのかなと思ってしまいます。ヒロミさんからすると吉野晃章さんと若いときに苦楽を共にした大親友ということだと思います。そんな大親友を42歳という若さで亡くしてしまったとなると相当ショックだったと思います。
ヒロミさんが芸能活動を休業するくらいのお話なので、その頃のヒロミさんの精神状態はあまりよくなかったのかもしれませんね。
吉野晃章の病名は?
楽しい時間や幸せな時間は永遠に続くことなく2001年9月、吉野晃章さんに肺癌が発覚します。
左上の肺と左の声帯に転移してしまい切除をしましたが、そのあとに頸椎に転移し2004年に惜しくもなくなってしまいました。親友であるヒロミさんもとても辛かったと思いますが、帝京高校時代から一緒だった木梨憲武さんも相当辛かったでしょう。
身近な人や大事な人を亡くしてしまうと心にぽっかりと穴が開いたようになり、何をするのも空しくなったりしますよね。僕もそういう経験は何度か体験しました。時間が解決してくれると頭では理解しようとしても、なかなか気持ちが理解できず暗闇に中をずっと歩いてるようなそんな気持ちになりました。
自分ひとりだけがそんな気持ちではないんですが、やはり辛いものですよね。
ですが今、ヒロミさんは元気に以前の毒舌を活かしつつも芸能界に見事復活してくれました!休業する前よりも少し丸くなったかなと思いますが、持ち前の毒舌さ、明るさは今も変わっていません。僕達視聴者を元気にしてくれますし、吉野晃章さんもヒロミさんの活躍を天国から絶対に見守っていてくれると思います。
まとめ
ヒロミさんの親友である吉野晃章さんについて詳しくご紹介しました。
吉野晃章さんに対するヒロミさんの強い思いというのは今も変わらず、ずっと持ち続けているんですね。ヒロミさんの気持ちはこの先もずっと変わらず友情は続いていくのでしょう。ありきたりな言葉になってしまいますが、吉野晃章さんの分までヒロミさんやとんねるずさんには頑張って欲しいと思います!
年老いてもヒロミさんらしさを捨てずに今のまま頑張ってくださいね!応援していますっ!!
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